元極道の僧侶が見たジャッジとエネルギーバンパイアとは?

 

 
スピリチュアルな道に入った当初、よく「人をジャッジしてはならい」など、「ジャッジ」と言う言葉を耳にしたものでした。
 
人を自らのエゴを通して価値判断せずに「中立な視点で見る」と言う霊性の道の教えは、白か黒、敵か味方で人間関係を分類してきたそれまでの私にとって、それは暖簾に腕押しの様なもどかしさ、何か自分がスピリチュアルと云うカテゴリに画一化されてしまい、薄っぺらな流されるままの無感情な人間になってしまうかの様な虚無感さえ覚えたものです。
 
でも、 エゴが価値判断をもとにする人間の葛藤の上にあぐらをかき、心の安定を失わせしめ…嫉妬や争い、突発的、あるいは恒常的な暴力、イジメ、または自身に向けられる罪悪感、自傷行為、自殺への誘惑、マクロに見れば民族や宗教間の紛争、テロ、戦争の根っこにさえそれは形を変えてあるもので、極道の世界にいた頃からこうしたある種の力学に人間は不可抗力の様に翻弄されているものを感じてはいましたが、当時の感覚で言えば、むしろ逆に、内に外に油断ならぬアウトレイジな世界を生き抜く為に人を明け透けに見抜く処世としての選定眼を欲したもので、当時の私は適者生存の世界に信を置いていたに違いないのです。
 
「ジャッジ」は「戦争のはらわた」とさえ言えるものかも知れません。
 
物事の裁定やシノギ(資金源)を巡って「ジャッジを入れる」などと言う人間も裏社会にはいたものでしたが、どこかしらスピリチュアルで言われる価値判断などとは意味合いの違う、それは「裁きを入れる」「鉄槌をくだす」と言う様な攻撃的な意味に直結するものとして用いられた言葉でもありました。
 
またスピリチュアルの世界に生きる人の間では、「エネルギーバンパイア」とよく言ったりしますが…
 
「強い念を飛ばしてくる」
 
「人のオーラに侵入してくる」
 
「やたら人をコントロールしたがる」
 
「強い依存関係を作り出す」
 
「そばにいるだけでエンパスの状態がMAXになる」
 
など、スピリチュアルで言われるエネルギーバンパイアの定義と云うものは、元極道の私などからすれば可愛いものの様にさえ当初は思えたものでした。
 
※エンパスとは、共感力が非常に高く、また霊的な成長に心を向ける人の事ですが、 他人の感じていることをまるで自分のことのように感じてしまう繊細な能力を持つゆえにエネルギーバンパイアの影響を強く受ける事もある様です。
 
私がかつていた裏社会にもエネルギーバンパイアは男にも女にもいたものです。
ヒーラーがよく言う「エネルギーバンパイアから受けてしまった💦」と言う様なエネルギーの不調や不調和などと言うレベルではなく、バンパイアの語源の吸血鬼そのままに、人を貪り尽くすかの様に、破綻、破壊しつくすまで追い込む人間などもいたものです。
 
また男の身持ちを崩してしまう女性の事を「傾城」と書けばどこかしら風情もありますが、付き合う男を早死にさせたり、破産させる事を繰り返す事で評判な容姿端麗な女性なども夜の世界にはいたものでした。
金は持っていても、遊び慣れていない男などたちどころに縛りにかけられてしまう様な、どこかしら妖気とも言える雰囲気を持っていたものです(笑)また美人度はそこそこで、罪の無い雰囲気ですが、付き合う男が病死や早死にしてしまう事にプログラムされたかの様な女性と云うものもいました。
 
私がまだ極道当時、他の組織に籍を置くある人間(死去)がいたもので…この男は何かにつけて「裁きを入れる」が口グセの様な男でした。
当時の私は三十代前半で武闘派組織の尖兵を気取り、敵対する組織の縄張りに自分の組事務所を出したりで、関東系の組織と睨み合いを続けている様な状況でしたが、そんな時期、ある人間の紹介でこの男と知り合ったものです。
 
この男、年齢はこの時で四十代後半で、渡世歴も長く、組長クラスの人間を何人も舎弟分に持つ貫禄充分なヤクザでした。でも、その付き合いはお互い「ちゃん」付けで呼び合う対等なものでしたが、どうにも会っていてこちらのケツの座りが悪くなる違和感の様なものを、この男に当初より感じていたものです。
 
極道が綺麗事で通らぬ世界である事は間違いのないところですが、それでも信じた絆に道を見出だしたいと思う人間もいるもので、人を泣かせてメシを食べて行く身ではあっても、どこかしら男でありたい、サムライでありたいと思う人間もその世界に多かったと言ったならば意外でしょうか?(暴力団を礼賛するものではありません)
 
でも、その一方では頭からつま先まで、完全に犯罪ビジネス化したスタイルで、金の匂いに敏く、常に自分に利のある様に立ち回る人間もいたもので、当時、絵描き(えかき)とも三味弾き(しゃみひき)とも揶揄した、人をハメたり、陥れる画策を巡らす人間にも多いタイプでした。
 
でも、この人間のレベルはさらに輪をかけるもので、昨日の兄弟分も金で縛りにかけて舎弟にして足蹴にする様なところが往々にして見受けられ、金の為には仲間も奈落の底に落とす事も厭わぬこの男の冷酷な性根が見え隠れする様で、当初から他の組織の人間であり、腹を見せる事なく付き合っていた私でした。
この人間と夜通し麻雀などをした後で帰ろうと表に出てエンジンをかければ「ボンッ!」と小さな爆発音と共に、買って間もない車のエンジンが停止したり、金が出るばかりでピタリと入ってこなくなったりで…
(現在はこうした事象の全てが自らの罪悪感から生じていると理解しています)
 
私には肝胆相照らすかの様な交流を望んでいるかの様な素振りを見せるこの男と一緒にいるだけで、この男の持つ陰波に足を引っ張られる様な危うさを感じ、距離を置いたものでしたが…
そうこうしている内に私は逮捕投獄されてしまい、この男とはその後二度と会う事はありませんでした。
 
その後この男は寄らば大樹の陰とばかりに、裏社会や大組織の力関係を嗅ぎ分けるかの様に、力のある組織の盃をもらったり、羽振りの良い時もあった様ですが、いいとこ取りをする様に組織を渡り歩くこの男の生き様は、極道世界からすれば盃をコケにする「代紋食い」に他ならず、車で走行中にカーチェイスの様に狙撃され、身体に銃弾を浴びるも、運転していた人間が咄嗟の機転で、道路を逆走して追尾を振り切り、一命を取りとめた事なども耳にしたものでしたが…
この顛末を聞いた時、憎まれっ子世にはばかるの例えではありませんが、この人間ならではの悪運の強さを感じたものでした。
 
この噂を聞いた頃の私は極道の組織からは離脱していたものの、アンダーグラウンドな世界で生きていた事に変わりなく、その後私を慕う人間の死や紆余曲折を経て、一念発起し、真言宗寺院で得度し、密教僧侶ヒーラーとして活動を始め現在に至っていますが、その後しばらくしてよりこの男が組織より放逐された後に、北の最果ての地にて何者かに額を撃ち抜かれて死んだ事などを風の噂に聞いたものです。
 
人を謀る様にまた自らも謀られるから決して謀るなと言ったキリストの言葉…
 
裏社会に野心の魂で生きる者の顛末に、ハードな諸行無常としてそれが現れる事が多かった様な気がしてなりません。
 
                       合掌
 
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