☆元極道へのヒーリングのご感想!

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※新垣玄龍氏

私と同じ元極道から僧侶となり活躍する新垣玄龍さんが、先日、私のサロンにで受けたヒーリングのご感想を、彼一流の内観を加えて書いてくれました。

まだ極道の現役から足を洗い間もない頃にも、私の元を訪ねてきてくれた玄龍さんでしたが、勿論この方も極道の世界で組長を張った人、粗いエネルギーも感じられたものの、でも会った当初よりヤクザの垢をあまり感じさせないものがありました。

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※写真は2年前の新垣さんへのヒーリングセッション時の様子。

私は親しい方にプライベートな時間に於いてヒーリングはしても、リーディングはしない様にしています。何故かと言えば、相手の気分の良いことばかりを言えるわけではなく、大きなお節介になってしまう場合もあるからです(笑)
それでも話している内に、またはヒーリングをしている時も、様々な情報を受けとるもので、玄龍さんの過去生の画像と言うものが見える時がありました。それは玄龍さんが原始仏教と言われた時代のインドの僧侶でカースト制度からくる貧困、圧政などを憎む気持ちが今生の極道になる前から培われていた鋭い人権への視点に影響を与えている事を窺わせるかの様な画像でした。

その人に応じたギフトと言うものを神は与えているもので、玄龍さんの場合はそれが「瞑想」である事を会って間もない頃に伝えた私でしたが、それを裏付けるかの様に瞑想と托鉢の日々の中で気付きと学びを深め、現在ではマインドフルネス瞑想の講師として多くの人の注目を受ける様にさえなりました。

元々論客でもあるので文章だけ見れば国士調の時もあり、会うには敷居の高い方の様に誤解される方もいるかも知れませんが、少年の様な笑顔と純粋さを持った方であり、多くの方が彼の元を訪れ、瞑想を共にして心身のバランスをを取り戻して行かれん事を切に願うものです。

日も迫った今月17日からは私と共に奈良での講演&セッションに臨む他、来年3月にはスピリチュアルな分野で活躍される皆さんと共にスピリチュアルサミット2にも講師として参加するなど、これから益々活躍の度合いを深めて行くに違いありません。

そんな玄龍さんの姿を見ていると…
伊勢の地、お寺にご縁を繋がせて頂いて本当によかったと思う愚僧であります。

以下、 新垣玄龍さんのブログ より転載致します。

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元極道のヒーリング雑感

 

先日は東京にスピリチュアル・サミット2の講師として迎えられたのを縁にイベントの撮影に出掛けた。
撮影前日に私が出家する仏縁を繋いでくれた、東京在住の密教僧・ヒーラーとして活躍する正仙さんの寺院を訪ねた。

正仙さんも御存知の通り、元極道であります。
雑談から私がヒーリングを受けさせて頂く流れに・・

正仙さんのヒーリングを受けるのは、今回で三度目。
その度に不思議な体験を経験してきたが、今回は、これまた摩訶不思議な体験ばかりであった。

前置きして断言しておくが私は、どちらと言えばヒーリングや祈祷、奇跡的な行法には懐疑的な人間であります。

というのも私は元極道であり、そのなかでも生き血を抜くような修羅場を経験しているのだから生き方や信念としては当然と言えば当然なのです。

しかも瞑想家でもあり、己の妄想や思考を極力排して「今ここ」を生きることを修行として精進しているのですから。
瞑想においても権威主義は俄然と認めず、己の探求した経験だけを頼りに今までの仏道を貫いているといっても過言ではありません笑

しかし、今回のは驚いた・・・
先ずは身体が汗が噴き出て熱くなり、胸の広がりが肩甲骨と共に音を鳴らしながら動いていきました。
私は日頃から瞑想をする準備としてボディワークを念入りに行うことが習慣となっています。なので身体の微細なエネルギーは他人よりも格段に感じやすいとはいえ・・

ヨガポールやバランスボールを使用しての胸を広げるエクササイズよりも広がったことが何よりも驚きでした。

当然、胸が広がれば呼吸は深くなり自然と深い瞑想状態、ゾーン状態(物事がスローになり静かになっていく)に没入。

最近、瞑想で坐る際に腰椎三番くらいが微細に振動して人体のバランスをとっている体感をしました(外からは静止しているように見えますが)
また、ヨガの奥義である骨盤を基底としたクンダリー二のようなエネルギーが脊髄を駆け上がることは概念としては理解していました。
骨盤や肩甲骨は人体の配電盤のような役割をしていることも。
脊髄は人体の神経回路の核をなすところ(電線みたいな場所)

30分のヒーリングが終了に差し掛かった時あたりでしょうか?
腰椎の基底部から、まるでドミノ倒しの逆バージョンのように骨盤が立ち始めて「グッグッ」「グッグ・・グッグ・・」と骨が軋んだ音が確かに鳴り・・・

鼻腔からも耳からも「パキパキ」「ピキピキ」と不思議な音が。
(これは瞑想中やボディーワーク中にも深く没入すれば体験しますが)

それから身体は生き物のように、自由に私の意志とは関係なく動き続け、呼吸と共に筋肉は弛緩を繰り返し、右耳からは優しい音色の鐘の音がヒーリングが終了しても響いていました。
身体の内部が、まるで私の今ここの生命を祝福して踊ってくれているようでした。指揮者は呼吸です・・
(音に関しては瞑想で経験したことありません)

私は、このような体験主義者?天邪鬼?なので「正仙さん、なにか鳴らしてないでしょうね?笑」と話しながら正仙さんが部屋を離れたスキに音が聞こえる方角の場所を家宅捜査しましたが、結果はシロ(証拠は見つからない)でした。

いやはや、「ヒーリングも凄いものですね・・」と秘かにヒーラーとして活躍するのを夢想した私の心中は透視できたかは分かりません笑

しかし、最近つと感じるのは全ての行法は、真摯に探究してる求道者にギフトとして与えられるのだろうと言うことです。

また今回想してみると、お互いの極道時代に出会っていれば敵対して命を狙っていたかも知れない、性分の持ち主達が、二人きりでヒーリングを施し(正仙さん)施される(私)が存在するのですから人生は摩訶不思議ですね。

元極道の二人が織りなしたヒーリングと瞑想のエネルギーの磁場に地獄、修羅場を漂う人間が訪れて少しでも癒されることを願う愚道者の私でした。

最後に印象的な言葉がありました。
私が「正仙さんはヒーリング中に、どのような感覚でしたか?」
と問うたところ、「いや玄龍さん。身体が勝手に動いている感じですよ。ヒーリングも理屈を捏ね回しているうちは半人前ですね・・笑」私は、この短い言葉の奥に深遠なる探究者としての姿を垣間見ました。道元禅師が只管打坐(しかんたざ)(悟りを求めることなく、ただ坐る)を説いたことの境地だと感じたものです。

宗教的な行法には様々な体験が伴います。
しかし、それらの神秘的体験に囚われるのも精神の監獄へと向かっているのです。体験は体験で素晴らしい。でも「当たり前のことを」「ただする」ということが人生では大切なことであり、「特別な何者か」になる必要は全くないように思えます。

それに私は、もう監獄には行きたくないのです笑

そうは言っても、ヒーリングも瞑想も目的は持つのでありますが、それを人為的に成すのか? 無為自然に為されているのか?が大きな分かれ道だと思います。

これは托鉢行も同じであり、私がお布施を取りに行って生きているのか?私がお布施を施されて生かされているのか?この二つの大きな命題が修行者の本質だと思うのです。同じ道なれども、天国と地獄の道は明確に区別されます。極楽浄土の切符は「無我」「無為」で売り切れ御免なのです。

それこそが現在の己の大肯定であり、現在の生命の神秘への感謝であると言えば、怠惰な私の言い訳に聞こえますでしょうか?笑

 

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今では酒を飲みに自ら盛り場に出る事も無ければ、一年を通してアルコールを身体に入れる回数なども、五本の指で足りてしまう私ですが、この日は宵のふけるまま、元極道から僧侶への二人が、楽しく語り合う事に尽きぬものを感じた愚僧でした。

合掌

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