☆クワイエットルームにようこそ…あなたのそれは?

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「クワイエットルームにようこそ」とは、もう10年程前に公開された映画のタイトルです。女性が薬物のオーバードース(過剰摂取)で気付いたら精神病院の閉鎖病棟に入れられていたところから物語りがスタートするこの映画でしたが、風俗からライターへ、向精神薬とアルコールで脱線して行く出口の無い生活感、少しよれた感じさえする主人公を、内田有紀が演じていたのですが、この女優も離婚を経験するなど、かつてのアイドルから経年した経験の厚みが、精神病院で自分を見つめ直す主人公のプロセスに投影されるものがある様で、実際の精神病院の描写と言う観点からはともかくも、私には良い映画の様に思えたものです。

向精神薬や安定剤、睡眠薬などを常用している上にアルコールを多量に飲む方のオーラやチャクラなど、人体を取り巻くエネルギーをリーディングで見ていく時…
スピリチュアルも普及してきた現在、7つの主要なチャクラを知る方も多い時代ですが、チャクラを精密なコンピューターを内蔵したエネルギーセンターの歯車として見たならば、過度の薬物摂取、アルコールの影響で、チャクラの働きが弱まり、目詰まりを起こしたかの様に、仙骨の基底部にある肉体や生存を現す第1チャクラから頭頂部にある霊性を現す第7チャクラまでがギクシャクと歪み、不整列なものがお見受け出来たりするもので、その方をカプセルの様に包む生命力を現すオーラも、弾力の無いものに感じられたりするものです。

一つの症状を薬で抑えればどこかしらに無理がかかり副作用が出る事は医師サイドからもオープンにされる最近ですが、向精神薬の副作用に苦しみ、本当は常用などしたくないにも関わらず、苦しみを緩和したい為にアルコールまでを併用し、余計に倦怠感や無気力を募らせ悪循環に陥ってしまう方などもいる様です。

そんな方が私に「私の血液は病院の薬の成分と酒で汚れてしまっているんです。食べる物も添加物の表示があると、やたら薬臭い様な気がして何も食べる気になれないんですよ、健康な時とはすっかり食の好みも変わってしまいました」と話してくださった時があるものですが、これなどもこの方の深奥にある無意識下の「神から切り離された」という罪悪感の投影が言わせている事の様に私には思えたものです。

本当の意味で「汚れ」な人間などいません。誰しも神の子供(宗教関係無く)であり、輝ける光を宿しているのですが、様々な要因からそれを曇らせてしまい、恐れや狂気を炸裂させてしまっているのです。
こうした方にも向精神薬やアルコール中毒に向かわせた『画像』と呼ぶ、出来事から来るショックや恐れを象徴するメンタルな画像があるもので、これが引き金となっているケースが殆どであり、この画像に本人が気付く事が癒し、再生への一歩となるものです。

こうした方のケースではカウンセリングの後のヒーリングでも、薬物の影響もあってか好転反応とも言える身体の重さや、だるさ、数日に渡って続く眠気を訴えたりする場合もありますが、何回かに分けてヒーリングして行く内に、自分を取り戻して行く過程が、ヒーラーの私からも、お客様ご自身も自覚するものとして分かったりするものです。
暗いトンネルに長い間いて、いきなり出口を示す光が射しこんできても、眩しさに目が開けられず、すぐに喜びと共に受け入れられないのも人間…「ああ、自由だぜオレ!」とタイムラグの生じる歓喜と言うもの、そこにはその人に応じた時間の経過が必要な場合もある事、ヒーリングの現場で見てきた事でもありました。

冒頭の映画の主人公のライターである女性は、措置入院で過ごす2週間の間に、入院する患者との出会いやトラブル、本当は夫婦でいる事に疲れていた夫から離婚を切り出されるなど、人生の節目を迎える様子なども描かれていて、退院する時には2週間を共に過ごした病棟の仲間からの送別の言葉の書かれた色紙や、気の合う人間との間に交わしたメアドの書かれたメモも、病院の外に置かれたゴミ箱に捨て、メモも車から投げ捨てるのでした。

話しは変わって…

私が極道の世界にいた頃、少年院や刑務所でウマの合う人間と兄弟分になったり、若い衆(子分)や舎弟分を作ったりしたものですが、塀の中では意気投合しても不思議と娑婆(シャバ)で実る縁と言うものは少なかったもので、「懲役で縁は持つな」と戒めの様な言葉もその世界にはありました。これなども、塀の中では「懲役ヤクザ」と呼ばれる様な刑務所の中にいる時だけヤクザを名乗り、表に出れば実際は大泥棒だったと言う様な人間もいたりするもので、ただでさえ自分を大きく見せ様と吹聴し様とする輩も多いことから、名前の通った人間や周りの評判のある人間は別としても、実態の見えずらいところもあるのです。

例えば、「俺は娑婆では若い衆もいて、ベンツに乗っているんだ」と吹聴する人間がいたとすると、時期を遅れてこの人間の地元のヤクザが同じ工場に配役されてきて「何がベンツだバカ野郎!ハッタリかますなこの野郎、テメエ何度パンサー(スリの事)で刑務所きてるか皆の前で言ってみやがれ!」と休憩時間などにカマシ(脅し)が入り、メッキを剥がされてしまったりするものです。いたたまれなくなったこの人間は「ケツ割り」と言って、刑務所の作業中に工場担当の刑務官の座る担当台に向けて手を上げ、「作業拒否」を申し出て、違反であることから警備隊に連行されるのですが、懲罰から独房には座るものの、まず、二度と同じ工場に戻される事は無い為、こうした人間にとっては、弱者の保身の策の一面もあったものです。でも、口は災いの元で、こうした人間は性癖とも言える嘘で塗り固める習慣はどこの工場へ配役されても改まらず、酷いイジメにあったり、工場中にシカト(無視)を根回しされるなど、生活しづらいものへと自らを追い込んで行ってしまうものでした。

刑務所は悪因悪果とも言える人間としての奈落の底にある学びの場なのかも知れません。でも、それゆえに更正を誓った人間にとっては二度と訪れたくない場所であると同時に、社会に出てより関わりを持ちたくない人間が集まる場でもあるのです。
塀の中で意気投合して、表で手を組んで何かをし様と目論ん
でも、金にもならぬ善行に意気を上げる事は無く、やはり犯罪のカテゴリ、その道の絆に特化して行く事は火を見るより明らかであり、一時は夢を見させてもらえるかも知れませんが、それも魂の運行から見れば一晩の夢、さらなる長期の服役、人生の破綻など、ハードな着地に向けて因果応報、諸行無常の因果律にさらされる事は明らかと言うより他ありません。

これと同様に全く共通点の無い様に思える「不倫」なども、双方が連れ合いに嘘をついて傷付けている、相手の配偶者を奪っていると自責の念が強くある場合など、自分や家族の病気や事故、悪意に満ちた他者からの中傷、何年にも渡る対人関係におけるトラブルなどを経験したり、混乱に陥ってしまう方などもお見受けしてきたものです。私は不倫を一概に否定しません。魂の運行からの深淵な意味をその出会いに見てとれる場合もあるからです。愛人としてご飯を食べさせてもらっている都合もある方にとって、疑ってかかる事など思いもよらない事かも知れませんが、この先年老いて相手からいつ三下り半を突きつけられるのか?と漠然とした恐れを抱きながら生きている方なども多いに違いないのです。何か満たされぬものを感じながらも、相手の笑顔を信じ明日への希望を託すのも愛の一つの形なのかも知れません。でも、めくれれば(露見すれば)人を傷つけると知っている男女の出会いは、やはり一時の夢は見させてもらえても相応の軌跡を描く事は肝に命じておかなければなりません。罪悪感を伴う想念の蓄積は、確実に身体を蝕んで行くばかりでなく、家族や周囲にも影響を及ぼすものです。

不倫どころかW不倫も珍しくない今の世の中、「不倫の結末を引き受ける覚悟があれば、たった一度の人生なんだから楽しめばいいじゃないか!」と、さもありなんな言葉さえ積極思考、ポジティブシンキングのお流れ頂戴の様に語られる時代ですが…
当事者だけならそれも良いかも知れませんが、それならそもそも不倫にはならず、お互いの配偶者、さらにはその子供がいる場合など、要領よく行っているつもりの不倫がバレて「あんたの女ずきには呆れたわ」と一週間や十日、口を聞いてもらえない程度のお仕置きですませてもらえるならいざ知らず(笑)寿命を磨り減らす程の決定的なトラウマになってしまう人も多いもので、慢性的な神経症や疾患、ガンを発症させる場合も。またそれを知った子供にも将来に渡る深い影、たとえば男性不信などの根強いイメージを落としこんでしまう時、言葉は悪いですが「自分でケツを拭ける範疇の話なのか?否か?」ここに不倫に対する一つの答えがある様な気がします

まして女性側の不倫が発覚した時は決定的である場合も多く、離婚すれば不倫相手が自分と一緒に暮らしてくれるものとばかり思っていたものが、相手の優柔不断にショックを受け、結局は二兎を追うもの一兎を得ずで、不倫相手とも別れる破目になり、ゼロからのスタートの時期に私のサロンを訪れて下さる方も今までにいたものです。

その人に応じたクワイエットルームと言うもの…
実らぬ人の縁、場となって人生に現れる事も間々ある様です。後ろを振り向かぬ勇気を試される事も人生にはある事を忘れたくないものです。

合掌

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