☆毎瞬選んでいるのはエゴの声それとも聖霊の声!?

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私達は人生の中で思うように行かなかったり、不測の事態に直面した時、原因よりも結果をいじくりまわす傾向があるのかも知れません。

それはスクリーンに映し出された映像をスクリーンの前に立って、手を上げたり、身体を重ねたりして映像が映らない様にしている事に他ならないものがあり、でも見ている者からは何が映し出されているのかはあからさまに分かってしまうものです。

手を加えるべきは映写機(心の在り様)である事は頭の隅ではわかっていても、元を訂正して表に結果として現れるまでには時間がかかったり、そこに着手すると、ライフスタイルから全てへの見直しが始まり、霊的にも「玉ねぎの皮むき」が始まる事から、エゴの察知するところとなり、これに抵抗するもので…「何を立ち止まっているんだよ、自分の為に傷付く人がいるからってそれがどうしたんだよ?世間の人間だってみんな一緒だぜ、メシを食べる為には綺麗事ばかり言ってたんじゃダメだよ、アイツを形の上では蹴落としたのも生きていく上の必然ってものじゃねえか、そんな事クヨクヨ考えているヒマがあったら、用意周到に負けない様にしなきゃな!」などと、その人の気付きの進化に応じて、様々な形を取り、足を引っ張ってくるものです。

それは「あんたらしくもない、やめちまいなよそんな事、あんた疲れてるから神だのスピリチュアルだの引っ掛かり始めてるだけなんだよ」などと言う身近な人間の言葉として投げ付けられる時もあれば…
今流行りの自己啓発や成功哲学の書にある様な、営利や欲得、エゴを賞賛する様な文面を目にする事によって、「そっか、所詮、私の気付きなんて自己逃避で自分の弱さなのかな…?お金とかビジネス、自己実現とかアクティブに活動するのが人間として生きる意味で、ポジティブなんだろうか?」と迷いを生じさせるなど、エゴと言うものは、人間が、内なる神であり教師でもあるハイアーセルフと繋がる事にとかく抵抗を示すものです。

でも、肉体を現実とする生き方を選んだつもりでも、聖霊であるハイアーセルフの語りかけや時には警報が止まる事はなく、こんな時期と言うのは落ち着きを得ない、葛藤を感じる出来事や日々をおくりやすいものです。

私が極道の世界に生きていた頃、「一歩下がれば百歩下がったも一緒」と言う、組織の面子を賭けた掛け合いと呼ばれる交渉事の心得を言い当てた言葉があったものですが…

今では「エゴに1インチ譲るなら、エゴに1マイル奪われる」と言う全的に波及するエゴの働きを表す言葉に置き換えられているものがあります。

以下の文章はイエスキリストの霊言を口述筆記した霊性の書として知られる「奇跡のコース」より引用です。
私達人間の生きるこの世界、肉体、過去生、輪廻転生までが壮大な幻想であり、トリップである事が短い文章ながら語り尽くされているかの様でもあります。

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世界の夢のなかで、身体は中心的な存在である。

身体なしではどんな夢もなく、また身体は夢のなかで人間であるように見られ信じられ行動する。夢なしでは身体も存在しない。

身体はどの夢のなかでも中心的な場所を占め、その夢は身体がどのように他の身体によって作られ、身体の外の世界へと生まれ出て、しばらくのあいだ生きて死に、それ自身とおなじように死につつある他の身体とともにチリと一つになるかを語る。

身体は生きるべく割り当てられた短い時間に友人及び敵として他の身体を求める。自らの安全が最大の関心事である。
自らの快適さが指針となるルールである。身体は快楽を探そうとし、傷つけられることを避けようとする。何よりも身体は苦痛と喜びは別ものであって、完全に分けられると自らに教えようとする。

世界の夢はいろいろなかたちをとる。なぜなら身体はそれが自立していて実体(リアル)であることを証明するいろいろな方法を求めるからである。

身体は世界が貴重であり実体であると主張する小さな金属版や紙片によって購入したものを身につける。身体はそれらを得るために働き、無意味なことを行い、必要もなく欲してもいない無意味なものと交換にそれらを放り捨てる。

身体は身を守り、私有物だと称することができる無意味なものをさらに収集しようとして、他の身体をやとう。身体は夢を分かち合うことができる特別な身体を探す。ときには自らよりも弱い身体の征服者であろうと夢見る。だが夢のどこかの段階で、身体は身体を傷つけ痛めつける身体の奴隷である。

生まれたときから死ぬときまでの身体の連続冒険劇は世界に存在したすべての夢のテーマである。この夢の「英雄」は決して変わらず、その目的も変わらない。夢を通じて身体はさまざまなかたちをとり、非常に多様な場所と出来事を有し、そこに「英雄」は自らを見出すように見えるが、夢には一つの目的しかなく、それがさまざな方法で教えられている。

そのたった一つのレッスンを繰り返し繰り返して教えようと試みる。

それは結果ではなく原因である、ということだ。そしてあなたがたはその結果であり、原因ではあり得ないと。

このようにあなたがたは夢見る者ではなく、夢である。だからあなたがたは、それが考案する場所や出来事を出たり入ったりしていたずらにさまよう。
身体が行うのはこれがすべてである、というのは真実である。
それは夢のなかの存在だから。

しかし、それが実体であるかのように見る者以外に、誰が夢のなかの存在に反応するだろうか?ありのままを見抜いた瞬間に、夢のなかの存在に影響されることはなくなる。それらを生起させ、実体であるかのように見せたことによって、自分がそれらに影響力を与えていたことを理解するからである。

世界にかつてあったすべての夢の影響から逃れる意志を、あなたがたはもつだろうか?

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合掌

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