打てばかげろう…清原元選手に想う事

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※PL学園時代の清原と桑田

「警察に追われとる!」と、ことあるごとに口走っていたと言う清原元選手…

覚醒剤中毒者が陥る強迫的な被害妄想として知られるパターンでもあります。それはやがて、どこへ行っても警察車両に付きまとわれる不快や恐れとなり、地に足を着けて歩く事を許さぬかの様に、何をやっても未消化や不成功を描き、薬(覚醒剤)から来る奇抜で奇行な姿ばかりを周囲に印象付け、時間の感覚さえ失い、破綻に向けて進んで行く事に於いて、時間の長短があるだけで、そこに誰一人例外は無い様な気がします。

TVで放映されている清原元選手の事件を見ていると、人間とは、決してカッコの良いままでは終わらせてもらえない生き物だとつくづく思ってしまいます。

PL学園時代からの仲間だった桑田元選手、清原とは数年前より、音信の無い疎遠な状態だった様で、事件を残念としながらも、「自分の人生に代打とリリーフはいない。現役時代に数々のホームランを打ってきた。自分の人生でもきれいな放物線を、逆転満塁ホームランを打ってほしい」と、そこは清原への友情を感じさせる、更生に期待するコメントを出していましたが、昔は極道の社会にいて、さんざん身体に薬(覚醒剤)を入れる人間の顛末や末路なども見てきた私にとって、今回の事で清原はよほど腹を括らない限り、放物線を描くアーチどころか、坂道をごろごろ転げ落ち、出口の見えぬ谷を延々と歩き続けるものさえ感じられたものです。

人は男女共に歳と共に年齢相応に中年の体型とでも云うべきものにシフトして行くもので、お腹が出てきたり逆にお尻の肉が落ちてきたりするものですが、私は清原の引退が騒がれた頃、お腹の張り出した清原の映像が流れているのを見て、単に練習不足とか遊び呆けているとかそんな事ではなく、何か彼の中での生体エネルギーの乱れ、チャクラの不均衡なものさえ感じられたものです。私は子供の頃からスピリチュアルな才能があったなどと、嘘を言うつもりはありませんが(笑)それでも、スピリチュアルな学びをする遥か以前、幼少の頃より死期の迫った方や、事故に遭ったり、病気が発症する直前の方に偶然でくわした時など、顔と上半身のアンバランス、それは身体の上に顔がちょこんと乗っている様な不自然な印象や、上半身と下半身が分断されている様な奇妙な感覚を受け取る事なども多かったものです。

そのTVの画面に写る清原の姿を見たとき、自分で「統御出来ない何か」を抱え、葛藤しているものを感じたもので、何かしらの形でズッコケなければ良いがと思ったものでした。(この場合のズッコケるとは、事件やスキャンダル等の事)清原は極道社会との交流が一時期取り沙汰された事などもあり、それが転落の発端と見るむきもあったり、覚醒剤などの事件でつかまる芸能人が出る度に、「いまだ断つことの出来ぬ芸能人と闇世界の関係」などと言うタイトルや見出しも、派手に週刊誌やゴシップ誌の表紙に踊ったりするものですが、何でもかんでもヤクザのせいにすれば済む問題ではなく、自らにそうした裏社会の人間との交流を良しとする油断やスキがあるからこそ招いている事であり、芸能人にしろスポーツ選手にしろ、そうしたトラブルに巻き込まれる時と言うのは、自らの大道、本線とでも言うべき人生の進むべき道から逸脱し、見栄や虚勢に心奪われ(女性関係も含め)心ここにあらずな状態、ヒーラーの観点で言うならば、地に足の付いていない状態で、エネルギースペースに全く自分がいない状態の時に多い様です。

本当の自分、真の自分の生き方などへの渇望や今の自分への漠然とした違和感などを心の疼きとして感じても、一時の快楽で向き合う事を先送りし、やがて大きな対価を支払わなければならないところへ自らを追い込んで行くのも、私達人間の生きる世界にはびこるエゴの法則とでも言うべきものなのかも知れません。こんな時、真の自分に向き合う事を先送りにする人との出会いやシンボル(依存させる何か?覚醒剤なども)を引き寄せているのも紛れもなく自分なのです。

清原の今回の事件にしても、暗転のボーダーラインとして、離婚、破局を招いた銀座のママや、覚醒剤の売り子(密売人の女性?)の存在などがクローズアップされ、まるで、清原を転落させた魔弾の射手の様に報じられてもいる様ですが、スピリチュアルな視点で見るならば、それが銀座のママであろうと、覚醒剤をを売る密売人であろうと、一見人格もあり肉体を持つ個々な存在ではあっても、全て必要必然から清原が招請し、キャスティングしたシンボルやイメージであり、清原は何ら被害者では無いと言うのが霊的な真実に違いないのです。

清原は身体に大きく刺青を入れていた様で、入れ墨は若い頃からの憧れだったとも話していた様ですが、果たしてそうなのてしょうか?プロ野球選手として成功は収めたものの、停滞し始めた時期に極道渡世の面々との交流が生じた事により刺激され、彫り物を入れたと言うのが本当のところの様な気がしてなりません。
51億にも登る清原の年棒、金が時に人の魂を奪う働きをするのは明らかで、銀座、VIP席、愛人、賭けゴルフ、高級車、リゾート、不動産など、湯水の如くエゴが見せる虚栄は限りがなく、51億とは、一般の人から見れば、天文学的な数字に違いありませんが、一度虚栄と快楽を知った人間は、収入が激減しても、ペースダウンする事が出来ず、明日なろう的に、過去の栄光や良い時ばかりを懐かしみ、破綻し、初めて自分の姿を知るなど、消えたバブル長者にも多いパターンなのではないでしょうか?

「波長同通の法則」と言う言葉がありますが、こんな清原の見栄や虚栄を求める姿勢が、それこそ見栄や虚勢に生きる極道渡世の面々と引き合うのに時間はかからなかったはずで、これも清原の身から出た錆と言わざるを得ません。格好も隆としたブランド物のスーツに身を包み、サングラスをするなど、清原にヤクザへの憧れがあったのは間違いない様な気がします。

清原は当然、極道社会の人間とも食事をする機会などもあったに違いなく、堅気の飲食の席とは違い、割り勘などはあり得無い、
帰る時には勘定が済んでいるヤクザの接待、めりはりの付いた挨拶や、柔かな家族の雰囲気の中にも垣間見せる、ヒエラルキー、上下関係など、場面(接待等)に於いてはきっちりと綺麗に見せるヤクザの姿に純粋な清原が心奪われても何ら不思議ではないのです。

私が現役のヤクザの頃、やはり堅気でありながらヤクザの様な格好の好きな会社の社長などとも交流があったものですが、そうした方と会う時、口では利害関係もある事から「社長、今日はまた随分と粋な格好してますね!」とホメテおきながらも、腹の中では「何やこのオッサン、ネス(堅気の事)のくせしてかぶれた格好しやがって」と思う時もあったもので、全的に裏社会で生きている矜持と言うものが当時の私の中にはあった様で、それが、上っ面だけヤクザを気取る様な人間への、侮蔑の様な気持ちにさせたのかも知れません。こうしたものと言うのは、グレ始めた中学の頃より、頭をリーゼントにし様が、パンチパーマにし様が、校則に違反する学ランを着ようが、それが格好だけの軟派なのか?喧嘩の出来る不良なのか?を肌で感じ取っていたところにその当初があった様な気がします。

極道は社会から隔絶されたところで疑似家族を構成するアウトローであり、犯罪に於いても確信犯として臨む組織集団ですが、資金源の上で、合法の事業を営んでも、それは形式の事だけであり、二足の草鞋などあり得ぬ全的なヤクザ教とも言える生き方をしている集団であり、波長も交わる時、粗くて強い波長に淘汰され、同化させられてしまう事必然であり、生半可に憧れで近づいて火傷せずに済むほど、甘い世界ではありません。またいくらプロ野球では数々の大記録を打ち立てた清原でも、頭から爪先まで堅気に違いなく、裏社会の人間とまるで同じ土俵に立ったかの様に、見栄や虚勢の部分ばかりに心奪われた事なども、転落の大きな要因としてあったのではないでしょうか。

自らの分相応に生きるとは、自らの可能性を諦める事などではなく、その時々の自分の生きる大道、本線に照らしてしっかり地に足をつけて生きる事だと思います。

今後に於いてきっとマスメディアでは、「清原芸能界復帰のカウントダウン」とか、逆に「清原再び逮捕へのカウントダウン」とか揶揄した論調の物も目立つに違いありません。芸能界やTVに出ると言う事自体が、見られて生きるカルマを生じさせる様で、全てとは言いませんが、俳優やタレントの転落やスキャンダル、今回の清原の様な薬物による事件など、視聴率や諸々の力学が、偽りを演じなければならない虚無などを生み出し、そうした心の隙間を満たすものとして薬物は格好の代替物であり、芸能人が懲りぬ様に何度も薬物に手を出すのもこんなところにも原因がある様な気がしてなりません。

私などは、清原は純粋で繊細なものも感じる事から、生き馬の目ん玉を引っこ抜く様な芸能界とはさっさとオサラバして、やはり野球の世界、当面プロ野球でのコーチなどでの復帰が無理ならば、実業団のチームの監督などを模索するのも良い様な気がするものです。

もう30年以上にもなる昔ですが、炎天下の甲子園で「カキーン!」と金属音と共に、数々の本塁打を放ち観る者を熱狂させた清原…あの頃の自分に帰って、日本を背負って立つ少年達の育成指導なども第二の天性として彼の人生に現れん事を願うばかりの愚僧であります。

合掌

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