★さらばアウトレイジ…現役ヤクザ組長からの電話

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「任侠などと言うものはどこにも無い事を知りました」と語るその電話の主は、中学卒業から四十代半ばの現在まで、極道の世界に身を置く現役のヤクザの組長でした。

先日、夜半にかかってきたその電話「住職さんですか?」とその第一声を聞いた時、アウトレイジな世界の住人である事が瞬時にわかった私でした。別段凄みをきかせた話し方ではないのですが、年季の入ったヤクザと言うのは、丁寧な物の言い方にも堅気の人には無い、どこかしら研ぎ澄まされたトーンがあり、わかるものがあるのです。

東京でも有数の繁華街で、自分の縄張りを持ち、関東に本拠を置く大組織の二次団体の最高幹部として、約30年に及ぶヤクザとしての人生を語りはじめたその方でしたが、ある時からどうにもヤクザの世界に噛み合わなくなっている自分に気付いたと言います。

そんな時に私のブログを知り、「この一週間ずーっと、読んでいました。迷いに迷いましたが、今日電話する事ができました」とその方は話してくれたものでしたが、ここで言う迷いに迷うとは、ヤクザの世界から抜け出て「堅気になる」事を指しているものです。
中学の頃から札付きのワルだったこの方は、中学さえ満足に行かずヤクザの事務所に出入りする様になり、卒業と同時に「部屋住み」と呼ばれる極道社会の修行に入り、その世界での数々の修羅場も踏み功績を認められ、自らも組長となり、ゆくゆくは上部団体の一家の跡目と目されるところまで登り詰めたものの、どうしょうもない空虚感や虚しさにとらわれる様になったそうです。

そこに加え、今や社会の必要悪でさえなくなったと言わんばかりの暴排条令などに見られる司法や地域社会も一帯となったヤクザの締め出し、弱きを助け強きを挫く任侠の精神など、現代の極道の世界では綺麗事の代名詞と言わんばかりのものを日々見せつけられる事に辟易とするものを感じ、組織の決め事にも素直に従えない自分と言うもの…
昔の侍が奉公する城に登城する様に、上部団体の執行部として事務所に日参し、組織の仲間と顔を合わせても、違和感があるばかりで、苦痛になってきたと言います。
スピリチュアルな世界では、アセンションとかエネルギーシフト、ゲートが開いたなどとよく言われる事ですが、これなどもまさに気付きの変化、エネルギーシフトであり、裏社会に生きている人間であろうと、なんであろうと神仏の語りかけが行われている事に於いて等しいものがあるに違いないのです。

たとえが悪いかも知れませんが、私自身がその世界にいた頃を振り返ってみても、金に成ると見れば骨の随までしゃぶりつくし、人を路頭に迷わし、潰えさせてしまう事や、あるいはヤクザの自分を利用したり、応援してくれる人などにも、縁が切れると見るや、何らかの理由を付け、それが露骨であろうと、慇懃無礼に一応は仕事への出資を頼む形を取る半ば恐喝であろうと、最後は脅しあげ食い潰してしまう事も、その世界で金で下手を売らずに生きていく上での習いとして、平気な顔で通過していける様でなくてはとても生き残れない、そんな世界だった様な気がします。


※下手売り・へたうり・失敗やドジを意味する隠語

この冒頭の方もそうした世界に生きて、明日が見えぬどころか、暗澹たるものしか約束されていない様にしか思えず、子供の笑顔を見る度に、親の死に目にさえ満足に立ち会えなかったこれまでの自分の生き方を悔いる様になり、「もう自分のいる世界ではないんだ」との想いが日々強くなって行ったと言います。車などの動産も処分し、部屋も引き払い、全ての身辺整理をつけ、自分を慕ってついてきた若い衆には堅気になる旨を伝え、今まさに自分の所属する組織との一切の音信を断とうと、たった一人でいる空間から私に電話をかけてきてくれたこの方…
得度出家し、僧侶として、仕事をしながらでも、人の為になる仕事をして行きたい希望がある事なども私に伝えてきたのでした。ただ、これに関しては出家得度する事がイコール僧侶として収入を得る事とは全く別物で、得度から後に正式な僧侶となりお寺に勤務出来る様になっても、家族を養う給料など得る事が出来ない実情と言うものも誤解の無い様に説明した私でもありました。
同時に地元でも名の通った人間なだけに、行く先々に自分の所属していた組の人間に踏み込まれ、トラブルになる懸念がある事や、幸いにして組からの足かせともなる借金などが無いことなども話してくれたものです。

10年選手、20年選手、などと現役の極道の頃はその世界で生きた年季を誇る様な揶揄を用いたりしたものですが、この方にしても約30年極道渡世に身を置いた方であり、身体にどっぷりと入った刺青ばかりでなく、信念や行動パターンなどもずっくりヤクザの世界で染め上げられたものがある事は予想だに難くない事でもあり、ヤクザ教とも言える、それまで信じていた価値観や世界モデルを捨てて、未知の世界へ歩いて行こうと踏み出すまでの葛藤や心情過程は私自身、わかり過ぎる程にわかるものがあり、しばらくは報復される恐れさえつきまとう時があるものです。

堅気になる話しを自分の親分なり所属する一家にはまだしていないと語るこの方、指を落として行くべきかしばらく考えたものの、堅気になるのに指を詰める必要もない事に思い当たり、ただ自分が世話になった一家に断りなく姿を消す事に抵抗もある事などを語ってくれたものです。私が若い頃でも、親分と呼ばれた方達は「堅気になるのに指はいらない、よそで極道するなら指を置いていけ」とはよく言ったものです…。

私が過去に極道の世界に生きた人間だからか「正仙サン、ヤクザの人は筋を通しますよね」と言ってくださる方がいたりします。でも、極道の筋とは力関係やその場の状況で、どの様にも変節するものである事は、私もその道に生きた頃、嫌と言うほど経験したことでもあります。
力は正義と言う言葉がありますが、力のある者が筋を作るのは勿論、道理の通らない事でも筋などネジ曲げてしまい、後付けでもっともな理屈さえ用意する事など日常茶飯の世界であり、それは、世界の国際情勢を見たときに力のある大国が弱小国の言い分など決して通さず、国際的に理不尽な行為をしても、謝罪などしない事と、全く同質のものと言えます。

堅気になるにあたり、「そうか、一生懸命やれや」と快諾してくれる親分や組織であるなら何の問題もありません。でも、円満退社で歓送会で送り出すサラリーマンとは訳が違う世界でもあります。堅気になり、組を抜ける話しをすれば立場のある人間ならまず言葉を尽くして慰留されるものです。でも、堅気になる意志が固いとみたなら、今いる場所を引き払い、自分がしている会社やシノギ(資金源)も畳む、もしくは組に譲り渡してどこか他所の土地に行けと条件をつけられ、扱いの上では破門であろうと組から出してもらえるならまだ良い方かも知れません。でも、甘い処置の前例を出せば、他の人間にも侮られ、シメシがつかないと考え粛清に走るきらいがあるのも、ヤクザばかりでなく、人間が形成する組織に必然的に発生しやすいエゴの力学と言うものでもあり…

こんな時、日頃組織内で反目していた様な人間がいたりすると、ここぞとばかりにハイダシをかけてきて(挑戦、攻撃する事)堅気になる弱味から反撃できない事を見透かされた上でヤキ(暴力)が入り、半死半生の目にあわされたり、ケジメと称して無理難題な金銭を要求されるなど、無軌道な暴力に発展して行くケースなども間々あるもので、この段階になると、組織は預り知らぬ形を取り、暴力装置の役割を担った人間のみしかコンタクトを取れなくしてしまうのも、心理的に追い込むその道のやり方でもありました。

この方もこうした事を熟知している事から、堅気になる話しをしに行ったところで、とても首を縦にふってもらえない事を重々承知している様でしたが、ただ後で「あいつは根性がねえからケツを割りやがった」「飛びやがって(逃げる事)あのバカ野郎」と蔑まれ馬鹿にされるのがいたたまれない気持ちもあった様で、見栄と虚勢、面子にこだわるヤクザの世界に長いこといた人なだけに無理のないところではあるのですが、そんなこの方に「失礼な事言う様だけど、堅気になって、もう捨てて出て行こうとする世界なんでしよ?」と言うと、「ええ…そうです」との返事に「だったらいいじゃないですか、もう自分が後にし様とする世界の人間が、自分の事をなんと言おうが何と評価し様が関係ないじゃないですか?だいたいヤクザは出て行った人間(組から)を良く言う事などないでしょう(笑)」と言うと「確かに、今まで出て行った人間を良く言う人間などいませんでしたね」と笑いながら答えたこの人に…「いいんじゃないですか、借金や不義理がある訳でもなし、堅気になるのだから逃げの形をとっても…道理を通そうと話しに行き向こうの方の顔を見れば気も重くなるだろうし、〇〇さんの話しを聞いていると、とても堅気になる事を受け入れてもらえそうには思えないし、かえって堅気になる決意を乱されて、足を引っ張られる結果になるんじゃないですか?」と言う私に「ええ、確かに、でも堅気になるからと言って、地元に帰れば、私の顔を知っている人間は多いし、すぐに私のいる場所も向こうに(組に)知れ渡ると思います。私の居場所がわかれば手をこまねいている連中じゃないんですよね…」といささか不安げでもありました。

「それは無理ないですよ…まだそちらの世界から離れていないのだから、どこへ行っても付きまとわれる様な思いにとらわれる時もあるかも知れませんが、心の声に従って新たな道を選び取ったあなたの決意は神仏もしっかり見てらっしゃいます。今まで大勢の人を泣かせる生き方もしてきたのだから、多少風当たりの強い事もあるかも知れません。でも、もう以前とは違う世界に飛び込んで行くのだから、類は類を呼ぶで、自然と渡世の方達と会うことなどもなくなって行くものです。〇〇さんにお聞きしますけど、これからは人の為になる生き方をしたいと話されていましたね?あなたが言う様に、人を間に入れてでも堅気になる話しを向けて(組織に)了解してもらえるならそれもいいかも知れません。でも、話しを呑んでもらえず、先方が乗り込んできてトラブルになりそうな時はどうするんですか?自分で解決するんですか?それともサツタレ(警察に通報)するんですか?」とこの方にとってある面踏み絵となる質問をあえてした私でした。

水と油の警察とヤクザ、関東はお江戸の昔から博徒がお上の出先てもある十手持ちの手先を務めた歴史などもあり、天皇のお膝元でもある事から、警察には逆らわないお上意識と言うものが連綿と続いているものがある様で、これに対して関西は反権力、警察にも非妥協の色合いが濃く、私なども若い頃より、警察に道を聞くのさえ恥の様に思え、憚るものを感じたものでした。

すると案の定「いやあ…さすがにサツ(警察)には頼れないです」との返事に「そうですよね、今は抗う気持ちも強いかも知れません。私も堅気になってしばらくは、何があっても警察だけは頼れないと思っていましたから…。でも、坊主になりヒーラーとして活動して行く内にそんな事はどうでもいいことで、またそんなこだわりを落として行かなければ本当の堅気とは言えないなって思いましてね、でも、サツタレ出来ないって言うのは、もし、向こうの人間が〇〇さんを攻めてきた時に、向こうの強みになるんじゃないですか?〇〇さん、今まで元の付く人間(元ヤクザ)を相手に話した事があるでしょう?」と聞くと、「ええ、あります」との返事に、「そんな時、『あんたも元はヤクザなんだから、まさかサツタレは出来ないよなあ』と話の上で縛りにかける事がありませんでしたか?」と聞くと…
「ああ、確かにありました」と私の言わんとする事を理解された様でした。ドラマにも元ヤクザのおっさんの役どころを俳優が演じていたりするものですが、私がその道にいた頃、借金の取り立てなどで、債務者に頼まれてか親戚だと名乗る元ヤクザの方が話の席に出てくる事がありました。

でも、話の上で「私もね、今は堅気ですが、昔は〇〇組にいました」などと語ろうものなら、機先を制す様に「それがどうしたオッサン、堅気が語るのかオイッ!」とはなからカマシて行ったもので、ヤクザ同士の話しは勿論、元の付く人間が出てきた場合など、債務者本人を目の前にして、少々荒げた声を出しても警察に飛び込まれる心配もほぼ無い事から、最後は「あんたがケツを持つと前に立ったのだから、これからはおたくと話しをさせてもらうよ」と話しを切り替えてしまい、元ヤクザの人間から金銭を回収する事なども間々あったものです。

話しが少々逸れましたが…私はこの方に言ったものです「あなたが言う様に家族を守り、人様の為に何かを為したいと考えるのなら、堅気になる旨を向こうの方(組)に伝える事が出来たとしても、それでも許してもらえず障害となるなら、今のあなたからしたら、カッコ悪いかも知れないが、お世話になった事は忘れません、ありがとうございます。でもこれ以上来るなら私は怖いから警察呼びます!これひとつでいいのじゃないでしょうか?もっとも、堅気になって出た人間をいつまでかまっているほどその世界の人達もヒマでもないでしょうが…別にTVに出たり雑誌に載ったり露出がなければ、地道に働いている分には、ヤクザと関係の無い世界に生きるのだから、自然と周りも静かなものになって行きます。ただ、ここ一番、家族を守る為にも不測の事態が生じた時は、自分一人で解決し様とせず、警察を介入させる腹積もりだけは決めておいた方が良いかも知れません。私やあなたの様に極道から転身した人間はそこまでの腹積もりが出来て、初めて素ッ堅気と言えるのかも知れませんね」と言うと、「そうですよね…もう自分も堅気ですもんね、天下の桜田門がついてますからね」と少し自嘲気味に笑ったものの、ここにきて私の言う事が腑に落ちた様でもありました。

長い間極道の世界に生きた人が堅気になる時と言うのは、単なる仕事の転職などとは違い、世界モデルや信念の変更に迫られるものがあり、大きな葛藤を伴うもので、堅気になる決断が正しかったのかと、繰り返し逡巡が訪れたりするものです。荷物も搬送しガランとした空間で、堅気を自分自身に宣告する様なつもりで私に電話をかけてくれたと語るこの方、「恥ずかしながら、何十年も極道して、今手元に残っているのは五十万ぽっちの銭です。正仙サン笑わないでくださいね」と言うのでしたが「何を言いますか、五十万と言えば、堅気の世界では大金ですよ(笑)私なども今の道に進んだ時は二千円や三千円の金をポッケに入れて、山手線に乗って平気で歩いていたものでした。人間出たとこ勝負で何とかなるってね、こればかりは昔から変わりません(笑)お年寄りへの無料でのヒーリングからスタートしましたから、来る日も来る日も納豆メシの時もありました。でも、よくぞ私の元に電話をかけてきてくれましたね。まだ気持ちの上で綺麗にスッキリと言う訳には行かないかも知れませんが、堅気になる決意をした事はどうか人生の大金星だと思って、自分の選んだ道を信じて進んで行ってください。本当におめでとうございます!」と裏社会から抜け出ようとするこの方に心から祝福の言葉をかけさせてもらった私でしたが、それに答える様に「ありがとうございます!そのお言葉を聞いて全てふっきれました。本当に今日電話をおかけしてよかったです。私も負けず嫌いなのでバックは踏みません、しっかり頑張って行きます。近い内に必ずお堂にも伺います。ありがとうございました」と力強いものを感じるこの方の言葉で、電話は終わりました。

これから嵐さえ経験して行くであろうこの方、それは高い家賃のマンションから安い家賃のマンションへ引っ越すと言う様なライフスタイルの変化をも指すものでもあります。私はこの方と話している時に最後の服役時、寒さで足の指が凍傷になる独房で聞いた歌を思いだしたものです。全てに破綻をきたし、そんな中で初めてスピリチュアルに気付きが芽生えたそんな時期でもありました。

あるけ、あるけ、歩け

大手を振って

人生と呼ぶにはまだ早すぎる

と全体の歌詞も曲名もわからぬ歌なれど、何故かそのイントロが心に残っている愚僧であります。

合掌

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