★人をほめるのも腹六分目なのか!?…ヒーリング私記

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ボクシングの世界タイトル戰などで、敗れたチャンピオンが挑戦者を讃え、片手を高々と持ち上げる場面などは見ていて美しいものがあったりします。

でも…それも拳で語り合うかの様な試合の後なればこそ涌き出る人間の自然な感慨がさせるものと言えそうです。

これが試合の余韻も冷めた頃、改まった席などで、敗れたチャンプが新チャンピオンと並び座り、マスコミなどからコメントを求められる場面などに於いて「ハイ、『元チャンピオンの○○さん』、また先日リングでした様に、新チャンピオンの片手をあげてツーショットをお願いします!」などと言われ様ものなら、表面上はニッコリと、新チャンプの健闘を讃えて片手を高々と上げた上にハグさえして見せる姿…

でも、このボクサーが実在したとしたなら、その胸の内はどうなのでしょうか…?

「ケッ、冗談じゃねえぜ!なんで引き立て役みてえにツラを会わすたびにコイツの腕を持ち上けてやらなきゃならねえんだ!? これじゃまるで負け犬同様の引退したロートル扱いじゃねえか?たまたま調整が間に合わなくて負けただけで、こんな若造に誰が負けるものか!」と、態度とは裏腹な敵意に満ちた感情を持つのも人間のマインドの働きと言うものでもあります。

でもこれはボクシングの選手ならずとも、私達人間が社会で生きて行く上で、ケースや角度は違えども、誰しも経験する、本音と建前の違う事を隠して演じる腹芸と呼べるものかも知れません。

私達が、マスメディアに登場する様な有名人や芸能人を、ホメ様が、けなそうが、いっこうに問題などないものですが…これなどもそれが利害の伴わないTVなどの画面を通して見るイメージに過ぎないからであり、これが自分のエネルギーフィールドに現れる人間関係となると、少なからずその影響を受けるところとなります。

人間と言うのは何度も人を賞賛したり賛嘆したりする内に、自分を卑下している様な恐れ、自尊心を傷付けられた様な喪失感を生み出し、やがて心の失地領土を回復せんとばかりに、讃えたその相手をこそ、呪う最たる人間にしてしまうのも、人間関係の起承転結に見られるケースでもあり、スピリチュアルなクラスを担当する教師と生徒の間などでも発生しやすい問題の形でもあるのです。

人間とは寂しい性(さが)を持った生き物でもあり、スポーツや勝負事の結果で発される勝者から敗者へ、また逆に敗者から勝者を讃える様なコメントは別としても、友達や何らかの利害を伴う人間関係において、相手の関心を惹きたいが為に、相手の持つ容姿でも持ち物でもスキルでもホメなければならない様に自らをプログラミングしてしまい、自尊心を傷付け消耗した揚げ句、今度は親衛隊よろしく昨日まで誉め称えていた相手こそが、憎き仇の様な存在になってしまうケースなども、今までセッションの中で何度もお見受けしてきた事でもありました。

これなどもホメる、悪い言葉で言うならおべんちゃらまでを含めて、相手を賞賛する事によりこちらも認めて欲しい、または何らかの対価を求める気持ちが根底にあり、これが相手との間にエネルギーの過干渉を生み出し、オーラやチャクラと言う人体を取り巻くエネルギーに、その無理のある状態がはっきり現れている場合も多く、こうしたケースでは、リーディングでご本人様の気付きを促した後でオーラやチャクラを浄化し、働きを整えるヒーリングなどを施したりします。

またその逆に、人間は誉められたりおだてられたりする事に弱いもので、「○○さんとは本当は友達のはずだったんだけど…私の事をセンセ、先生なんて呼んでくださるものだから、私もついその気になっちゃって、友達のスタンスに戻れないまま、仲違いしちゃって…」などと、これに似た体験をお持ちの方も多いのではないでしょうか?

人を誉め称える事は時として、それを聞いている周囲にも美しいものや胸に暖かいものを呼び起こす事があるものです。

また人の美点を認め誉めて行く事が、その当人の意欲を掻き立て、能力向上や人材育成の上で大切な事は言うまでもありません。

でも、優れた人間と言うのは、自分が誉め称えるそれが、その人間の一部にしか過ぎない事などもよく知っていて、どこかしらあっさりと謙虚なものさえ感じさせる様な人の賞賛や誉め方をするもので、ビローンと(笑)手放しな誉め方などしないものです。

人との長い付き合いを心掛け様と思ったら、腹6分目程がちょうど良いと言うのが、私が極道当時から見てきた人間観でもありますが…これは人を誉める、賞賛する事に於いても等同のものがある様な気がしてならない愚僧であります。

合掌

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