ヒロシマ・原爆の日に想う事

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今日は広島に原子爆弾が投下された日…

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戦後69年が経った今日、原爆の悲惨さを語る生きた語り部を務めてくださった方達も年を追うごとに鬼籍に入り、記録や慰霊の式典や行事の中にだけしか見いだせぬ日が目の前にきております。

原発再稼働をもくろむ国にとって、原発→原爆へ国民のイメージが繋がる事はなんとしても避けたいところかも知れません。

不安を煽るつもりは毛頭ありませんが、今の日本の選びとっている方向に、徐々に、徐々に、新聞やTV、マスメディアからも広島や長崎の記憶が閉め出されてしまうファシズムが到来しないと誰が言えるのでしょうか?

秘密保護法なども悪法と騒がれましたが、これなども関係なき世界の事の様なれど、暴力団新法や暴排条例など、一般の国民にすれば取り締まれば拍手喝采のヤクザを『叩き台』にして、そうした法案の鋳型を作りあげてきているであろう事は、一般の方には思いもよらぬ事なのかも知れません。

※暴力団を礼賛するものではありません。

まだ私が極道の世界にいた当時などは、この日本が警察ファシズムな国だとよく思っていたものです。
そして、極道に対する取り締まりをテストケースにして、いずれ堅気の世界にも網をかぶせる為の既成事実を作っているのでは?としか思えない時もあったものでした。

人は思うに違いありません『ヤクザと一緒にされたんじゃたまらないよ、悪い事して食べている人達なんだから、それなりに取り締まる法があって当然だろ、俺には関係ないこった』と…

でも、こう言う人はわかっていないのです。
明日にも警察が「お前はヤクザだ!」 「お前は準暴力団員だ!」と認定するだけで、立派にヤクザ同様の取り締まりの対象となる現実を…
身体に刺青があろうとなかろうと、犯罪歴があろうとなかろうと、そんな事は関係ありません。

ここに警察ばかりでなく、国家としてのファシズムの恐ろしさの原形があります。

つい最近も、親の七光りどころか、親の七十七光りの後光射す政治家が、福島原発の問題に際して「所詮金目でしょ」と発言した事などが取り沙汰されていましたが、すべての議員がそうだとは言いませんが、この発言ひとつとってみても、国民を統計上のデリバリとしか見ていない様な、日本の『政治屋』の底流にあるモラルの低さを現しているかの様な言葉でもあります。

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私は数年前、初めて広島の原爆記念館を訪れた時、原爆の熱線で焼かれた衣服を纏う少女のマネキンや、子供を抱いたまま焼け焦げ炭化してしまっている親子の写真の前で動けなくなってしまったものです。

その時に背後で観光客の一団に原爆投下時の被害状況を話すガイドの声が聞こえてきたものでしたが、私よりも若いと思われるその女性の明るい声は、阿鼻叫喚の地獄を記録する写真を見ていた私には、何か奇異な響きにさえ聞こえ、館内を歩きながら自らの想いを浄化していったものです。

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百個の太陽が降ってきた様だったと語られる広島に投下された原子爆弾…

これより朝に続き、小さな自坊にて、広島で亡くなられた方達への鎮魂の供養法を勤修いたします。

合掌

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