★人生交差点…人間臨終図鑑

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※社会通念上、不適切な表現や描写がある事お許し頂きたいと思います。

ここ最近のセッションでは、額の中央第三の目(第六チャクラ・サードアイ)に違和感や軽い痛みを覚える等の感想を話して下さる方が多かった様な気がします。

スピリチュアルな道に進んだ方などが、エネルギーの変容に伴い、この第6チャクラ、通称第三の目に、疼きや違和感を感じたりする事などが知られていますが、その人間の内面に重大な価値観の変動が生じた時なども、このチャクラに今までなかった感覚が訪れたりもする様です。

私も第三の目にズシッと鉛でも埋め込まれた様な疼痛が走ったものでした…。
(今でもこのチャクラには意識するしないに関わらず、場所や人に対応するかの様に独特の感覚があります。)それが私に最初に訪れたのは極道として最後の逮捕拘留となった警察の留置場の中だったのです。

スピリチュアルな事などには全く興味の無かった頃でもあり、偏頭痛の一種ではないか?とさえ思ったほどでしたが…笑

警察の留置場と言うのも社会の底辺の縮図の様な場所で、様々な罪状で警察に捕らえられた人間が次々とやって来ては去って行く場所でもあります。

逮捕され、留置場に来た当初は実刑を覚悟してたのか深刻な顔をしていたものが、罰金で出れると見るや、一転して明るい笑顔を見せる人間…
またその一方では、初犯の人間などが、執行猶予で実刑を逃れる事が出来そうな見通しにホッとしながらも、これから長い務め(服役)が予想される懲りない面々も留置場で共に寝起きしている事から、気を遣ってか、あえて喜びを噛み殺し神妙な顔を装う人間もいたりします。

また、何処かの町工場の社長然とした人間が留置所に来た事から何をしたかと思えば、下着泥棒の常習犯だったりで、この男が盗んだと思われる女性の下着がダンボールに詰められ、留置所の片隅に置かれていたのを見た事がありますが、二箱ほどあるダンボールの口が閉まらぬほどに詰めこまれた色とりどりの下着に、目のやり場に困った思い出もあります。笑
(;~∧~;)

また自分が後に判決で宣告されるであろう実刑(懲役)の年数の予想を、今までの服役歴の自慢や、刑務所グルメとでも言うべき、各刑務所の食事の格付けなども交え、まことしやかに語る人間など、悲喜こもごも、明暗の分かれる場所でもあるのです。

ちょうどその頃は、オウム真理教の内部分裂から麻原の三女アーチャリーが、私が逮捕され入所していた警察署に連行されてきた事もあり、未成年でプライバシー保護の為か、留置場各房の裏、通路側にあるカーテンをすべて締め切った中を、ヒタヒタと警察から貸し出されたサンダルの音を響かせ歩く、アーチャリーの姿を、カーテンの隙間からのぞき見た私でしたが、麻原彰晃にウリ二つなその姿が、親の呪縛や影を、これからも背負って生きて行かなければならぬ姿の様にも思え、不憫に見えたものでした。

ある時、四十代前半くらいの精悍な面構えをした見るからにそのスジの男が、真夜中に怒鳴り声と共に留置所に入ってきた時がありました。
留置課に引き渡す為に留置所の入口までついてきた取り調べの刑事に『オイッ!コラッ!関係ねえ人間のとこまでガサ入れしやがって、それがてめえらのやり口かこの野郎!デカ(刑事)長にもよく言っときやがれ!』と散々毒づくこの男は、関東系組織の人間でしたが、覚せい剤の使用や所持でパクられてきたのでした。

※ガサ入れ(家宅捜索の事)

※パクられる(逮捕される事)

覚せい剤事犯で捕まってきた人間なども、すぐに刑事の取り調べに完オチ(全面自供)し警察の調書に署名捺印する人間もいれば、薬の使用を認めず否認し、薬の仕入れ元や入手経路なども黙否したまま徹底して争う人間もいるもので、この男は明らかに後者の部類でもありました。
でも、頑強に否認しようとも、覚せい剤の常習歴のある人間などは、強制採尿と言って、警察から無理やり尿を取られ(これが痛いらしい、笑)覚せい剤の反応がリトマス試験の様にそこに出てしまえば、被疑者の自白調書は無くとも、認定で立件起訴されてしまう現実もある様です。

この男、数日は刑事と取り調べ室で攻防を続けていた為か、取り調べ室から留置場に帰ってくる足取りにも荒々しいものがあったものでしたが、数日経つ内に明らかに意気消沈しているものがその顔色に現れていたものです。

取り調べの行き帰りに、私の房の前に来るといつもニコッと笑顔で『おはようございます!』『おつかれさんです!』と声をかけてきたものでしたが、元気が無い事から『どうした、何かあったの?』と聞くと、案の定余罪が出て来たとの事…

逮捕される直前に、この男は地元組織に籍を置く後輩とトラブルになり、散々痛めつけた事があった様で、それが原因でその数日後に相手は死亡してしまった事をこの男は知らずにいたのでした。この男が加害者である事を警察が特定するまでに時間がかかるはずもなく、傷害致死の罪状で再逮捕の憂き目を見たこの男、因果応報、悪因悪果と言えばそれまでですが…
警察から拘置所へ移管される日に私の房の前に来て『今日まで色々ありがとうございました。自分も今回は10年以上の務め(服役)になりそうですが、出たら必ずご挨拶に行きますので、組長もお元気で頑張って下さい。』と別れの挨拶をして行くのでした。

警察に捕られる時と言うのは、人生の灰汁(あく)が出ている様な時期に符節を合わせるものがあったりで、悪銭身につかずのたとえの如く、極道の金は早い(見栄や虚勢に金が消える事)などと言ったものでしたが、私が極道当時、最後に捕まった時と言うのは、財布の中身が文字通りカラになった当日であり、起承転結全てに金が伴う極道の社会でもあり、金策にどうしたら良いものか?と…

思案を巡らしていた矢先に、逮捕令状を携えた警察の大掛かりな捜査チームの出迎えを受けた私だったのです。この時ばかりは上から見ているお天道様に『ハイ、それまでよ!タイムオーバー!』と言わんばかりに、つまみ上げられたかの様な気持ちになったものでした。

人間に内在するものが、自らが踏む事件の中にさえ投影されていた事…
振り返る時、それは自分の中にも、人のケースの中にもあった事など…スピリチ
ュアルな道を歩む今となっては痛切に感じるばかりですが、当時は思いもよらない事でもあったのです。

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写真は『人間臨終図鑑』と言う世界の偉人から、古今東西の著名な人間の臨終に際しての言葉や様子が書かれた本ですが

これは自ら購入した本ではありませんでした。
この逮捕拘留時に、警察暑の留置係の警官が、拘置所に移送される際、領置品検査(移送される際の私物検査)をしている私に…

『組長、私も長い事留置所づとめで色んなその世界の人達を見て来ているけど、ちょっとお宅は雰囲気違うよね…?』

『警察官とヤクザでも、私は人間として変わりないと思っているし、今回のお務め(刑期)を終えたらよければ連絡下さい。別に個人で会う分には構わないでしょ?一人の人間として酒を酌み交わしたいですね。これは山田風太郎の書いた臨終図鑑と言う本だけど、バッグに入れておくので後で読んで見て下さい。』と、私の所持品の項目にこの本を追加記入した上で、寄贈してくれたものです。

取り調べ室で相対し、水と油の如く攻防するマルボウ(暴力団対策課)の刑事などとは違い、何かと留置所で親切にしてくれたこの留置課の担当(警察官)には半ば心通うものを感じながらも、当時は私も武闘派組織の先兵を気取っていた頃、反権力の気風もあり、出所した後に警察官と会う事など思いもよらなかったのでした。

『人間臨終図鑑なんて、いかにも仏(死者)に引導を渡す坊さんが読む様な本だね。でも、これから俺も刑務所に行くのだから、引導を渡されたに等しいやね(笑)〇〇さんにはすっかりお世話になりましたね。お元気で…』と、半ば自嘲気味にこの留置所の警察官と握手を交わし別れた私でしたが、その後紆余曲折を経て、その引導を渡す僧侶になった私…

この時には予想だにしなかった事でもありました。
服役を終えた後も、この警察官とは会う事もありませんでしたが、今振り返ると、この警官も禅僧の様な風貌をしていたものです。
そんな事を思い出しながら、古い本の整理をして出てきたこの本を手にした私でした。

人の出会いの摩訶不思議…それは人が忌み嫌う警察署の留置所の中であろうと、刑務所の塀の中であろうとも、時と場所を選ばぬものがあった様な気がします。

合掌

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