印を結ぶ如来の姿から思う事

密教僧侶ヒーラー正仙「法名」-321643_454766014607452_343187443_a.jpg

穏やかな表情で印を結ぶ阿弥陀如来の姿…

私がアウトレイジな世界にいた頃、右手の指で輪を作れば、それはすなわちお金を意味したものです。

『地獄の沙汰も金次第』と言う諺がありますが、人の生きるこの娑婆を、実にシニカルに現す言葉の様でもあり、私は好きだったものです。

金が人一人の命を救う事もあれば…

金の持つ魔力が、時には人間を鬼にも、獣にも変え、サバイバルな争闘の世界さえ現出させる事も…

昨日までの友情や信頼さえ変質させ、ネジ曲げる事さえ発生させ…

時に人を猜疑や策謀、駆け引きや裏切りと言う薄氷を踏むかの様な、油断も隙もない人間関係に追い込まないではおかない金の魔力と言うもの…

若い頃より随分と見てきた様な気がします。

一度借りれば、アリ地獄の様に抜け出る事の出来ぬ暴利の金融と承知の上で、借用書に名前を入れる人の、顔、顔、顔…

その顔の多くが、どこかしら疲れが見え、やつれている事…
返済が遅れる様子を見抜かれてしまえば、金を借りる事の出来ぬ弱みを感じてか…
張りのある声と笑顔で取り繕っても、それは明け透けに見て取れたものです。

『金さえあれば…』と自らの境遇を恨み、呪うかの様な表情をしている人も多かった様な気がします。

私が若い頃、ある方が言ったものです。

『借金が増え過ぎ、背負い切れなくなると、命数も尽き、お天道さまに命を持って行かれてしまう事もある。』と…
(((;゚д゚)))

勿論、多大な借金を、苦労の末に、見事に返済する方もいたりで、全てがこの限りではありませんが…
借金と言う、因果のある事とは言え、金の持つその魔力が、時には人間の生気や生きる活力さえ奪ってしまう事…

皆さんも、ケースこそ違えども、苦労したご両親や、周囲の方の姿に見てきた方も多いのではないでしょうか。

こうした事も、当時の私の信念や世界モデルが投影されていればこそ、自らが見て来た極端なケースなのかも知れません。

しかしながら、これはアウトレイジな世界だけに限っての話しでしょうか?

金と言うものは、多かれ少なかれ、こうした磁場を発生させやすかったりもする事…
金を掴む欲望に忠実にとばかりに、思考やアクション、駆け引きと、時には一身を博打の駒を張るかの様に、頭の先からつま先まで『引き寄せの法則、裏社会バージョン』とでも言うべきものに身を委ねて生きた事のある私にとって、痛切に感じる事でもあります。

自分の深い声に従い、自分らしく生きる事…

豊かさに対する考え方を劇的に改め、日常発生する感情から、潜在意識にまで及ぶ浄化を実践する事により…
内的世界を安心なものとし、自分が追い求める事に、必要な分だけ、お金や豊かさがもたらされる生き方への転身を説く書なども、最近は増えて来た様です。

それは決して、清貧の思想を善しとするものばかりではなく、適者生存のシステムが敷かれたこの世界の中で、覚めて生きる事がいかに大切か、気付き始めている方が激増している世相を裏打ちしているかの様でもあり…

こんなところにも、霊性の新しい潮流と言うものを感じたりもします。

お金を求め、多少の虚栄を満たしながらも、内的世界も充実し安堵させたいと願う、分裂するかの様なマインドに陥りやすい私達人間…

今こそ、自分独自の豊かさや生き方に気付き、進んで行きたいものです。

合掌

タイトルとURLをコピーしました