近所の花屋さんから買ってきた花…
以前は男子たるもの花など愛でる様では弱気に過ぎると思っていた私でした。
私は極道の世界で生きていた頃、花屋の軒先で足を止め花を見つめる事が多かったのです。
学歴不問の極道の世界…もとより出たとこ勝負の私にとって、それは魅力的な世界でもありました。
しかしながら、年を追う毎に人の痛みが分かる様になってしまい、それこそ極道の世界の盃事で媒酌人より申し渡される「黒いものでも親が白と言えばそれはすなわち白です」と、その時は高揚したものさえ感じ、裏社会に生きる誇りさえ感じていたその言葉…
その裏にある掟や信念…
そうした自分の全てを支えていると思っていたものが、いつのまにか自分の中で翳りを帯びていたのかも知れません。
自分自身がどこにいるのか…?
どこに行こうとしているのか…?
わからなくなっていたのです。
そんな時に花屋のガラス越しに見える花が何故か胸に染み渡る様に美しく思えたものです。
そうした思いを打ち消すかの様に好戦的な極道のスタイルに自らを駆り立て様としたものでした。
「馬鹿でなれず、利口でなれず、中途半端じゃなおなれず」とは極道渡世に生きる人間を揶揄した言葉でもありますが…
確かに、心の片隅を切り落としていかなければ、揚げ足の取りあいの様な極道の社会で生き残る事はできないのです。
そう言う意味では私は弱い人間だったのかも知れません。
一度陰りの出た生き方や信念は自分の中でせめぎあうもの…
反対の極に自らを投げ込もうとすればするほどに…
花の美しさが…
それは何の制約も恐れもなく、自らの種子を花開かせる事だけに純粋に懸命なその花の美しさや儚さが、自分の胸の中で際立ち染み渡る様でもありました。
私はブログには書きませんでしたが、今回の大震災の前々日にたった一日で大きく元気だったパキラが全て枯れてしまいました。
まるで震災の悲しみを事前に予知していたかの様に思えたものです。
花の様に樹木の様に…世界でオンリーワンの種子を花開かせて生きて行きたいと願う愚僧であります。
合掌