美と豊かさの女神ラクシュミー心の祭壇とは?

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おはようございます。

朝の勤行前のひと時、冷たいコーヒーなど飲みながらこれを書いています。

本日八日は、吉祥天の御縁日です。

日本に於ける吉祥天は、インドの豊饒の女神ラクシュミーと同体とされています。

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インドの女神ラクシュミーは、慈悲と恩恵の最高神とされるヴィシュヌの妃として、何世紀もの間インドやネパールの人達から愛されて来た歴史があります。

インドから中国、そして日本へと長い歴史を経て渡って来たラクシュミーは、吉祥天女とその名を変えて…

やはり福徳と除災の神毘沙門天の妃として、長い間親しまれて来ました。

先日ある方から、『ラクシュミーを家に奉りたいのですが、仏像を買うお金もなく、祭壇に割くスペースもないのですがどうしたらいいのでしょうか?あせる』と尋ねられた時がありました。
(-.-;)

この様な事でお悩みの方は案外多いのかも知れません。

信仰を持つと言う事で無くとも、親しみを感じる仏像を祭壇にお祀りする事は、日々気持ちを新たにする上で良い働きをもたらすものですが、形あ仏像に手を合わせる事から、神仏のエッセンスに触れたいと願う人は相当多いのではないかと思われます。

そうした心の『架け橋』として、仏像があればそれに越した事はないのですが…

とかくいろんな方の話しを聞くにつけ、中には難しく考えてしまう方もとても多い様です

祭壇の荘厳はどの様にしたらいいのか?

祭壇や仏像を置く方角はどちらにしたらいいのか?

仏像は鉄製が良いのか?それとも木像が良いのか?

どの様なお経やマントラ(真言)を唱えたら良いのか?

厳密に言えば、仏像を奉る方角にも意味はあるのですが…
一般家庭の建築事情と言うものもあり、そうした要件を満たすのは無理があったりもします。

どの方角に置いたところで、神仏には違いなく罰されるはずもありません。

たまに仏像を何処そこの場所に置いたが為にバチが当たった!?等と言う方もいますが…
(((;゚д゚)))

私から見ると、そうした方は仏を奉る礼拝の所作などに神経質になるあまり恐れを生み出してしまい、『恐れのエネルギー』が、そうした事象を自ら引き寄せ実体化させてしまっている場合が多い様です。

一番大事なのは、祭壇を設けるにしても、仏像を置くにしても、自分で家の中や部屋の中を見回して見て、一番バランスの良いと思える場所を選ぶ事ではないでしょうか。
(^_^)

また、色々な御事情から仏像が買えなかったり、祭壇を設ける場所がなかったりする場合もあるかも知れませんが、何ら恥じる必要などありません。

例え一枚の安い仏像のポスターでもいいのです。

または仏像や仏画の本から好きな神や仏のページを切り取り、部屋の目に付くところに貼ってもよいではありませんか!

私なども、旅先では本尊たる仏像も何もありませんが、宿泊先で就寝前にする瞑想の時など、神や仏に一日の感謝と共に祈りを捧げますが…

私はそんな時、自分の中でエネルギー上で祭壇を(密教僧は密壇と呼びます)つくり、仏の姿をビジュアルに観想し、山ほどの御供物(ゴールドに輝く果物の山)をそこに思い描くと共に、感謝の言葉をアファメーションし祈りを終える様にしています。

自坊でのお勤めとは違い、そこには長いお経や真言を用いる事もありません。

深い瞑想状態に入れずとも、目を閉じて、自分の好きな神や仏の姿を思い描き、日頃の感謝と共に御供物を捧げる時…

例え目の前に立派な仏像がなくとも、いつの日かはっきりと神や仏との繋がりを確信出来る日が来るのではないでしょうか…。

これより吉祥天法を勤修いたします。

いつもコメントやメッセージを下さる読者のみなさんの身体健全・富貴円満・心願成就を小さな自坊よりお祈り申し上げます。

合掌

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